「Black Man」 平隊員Tさま


#0


その光景は、美しいと思うほどの紅い世界だった。
紅い色はどろりどろりとどこまでも広がり、まるで見える世界その全てがそれで満たされているのではないかと錯覚するほどだ。
俺はその世界の中心にいた。ただ、立ちすくんでいた。
紅い色は、母と父、兄と妹の血――。
その惨状を目の前にして、泣くこともわめくことも出来ず、ただ立ちすくんでいた。
幼かった俺にはその状況が理解出来なかっただけなのかもしれない。
男は言った。「憎いか」と。低く落ち着いた、そしてどこか冷たい声で、俺の前に立つ男はそうつぶやくように、言った。
俺はなにも答えることが出来なかった。恐怖からではなく、ただ、全てにおいて理解が追いついていないせいだろう。
「待っている」
そう言って、男は俺の前から消えた。
待っている――。
なにを?
待っている――。
なぜ?
今ならわかる。
自分を殺しに来い、そう言ったのだ。あの男は。
俺はまるであの男の言葉に従うように、まるであの男の背中を追うように、裏の世界へと迷うことなく進んだ。いや、それ以外に道はなかったのだ。
そこに、両親、兄弟への弔いの気持ちはない。ただ純粋に、あの男を殺す、という強い思いのみ。
それは、初恋をした少女のような焦がれにも似た感情なのかもしれない。

――歩みはじめた道は眩暈を覚えるほどに長かったが、終わりはあまりに呆気ない。
命の終わりはムービーのようにドラマティックではなく、冗談のように呆気ないものだ――。



月の輝く夜。
「言い残すことは」
幼さの残る声でスーツ姿の少年は銃を向ける。人骨を模したスカルマスクのせいで顔立ちはわからないものの、背丈と声の質から少年だと理解出来る。
彼の向ける銃口の先には、白髪交じりの男が背を向けた状態で立っていた。
男は小さく笑った。幼かった我が小がよくぞここまで成長してくれた、そんな父親の心情を表すような暖かさすら感じるその微笑。
「一服、いいかな?」
男の言葉に少年は答えない。それは否定なのか肯定なのか。
男は構わずコートのポケットから細長いケースを取り出すと、葉巻を一つ摘み上げる。もう片方の手で短めのナイフを取り、葉巻の先端を切り落とす。
銃を向けられながらも、男の動作は実にゆっくりと緩慢なものだった。自宅のリビング、置かれたソファーにどっかりと腰掛けながらリラックス状態でそうしているように。
葉巻に着火すると、白煙を吹く。
「待たせたな」
男の言葉と同時に引き金は引かれた。一切の躊躇いもなく、男の背を銃弾が撃ち貫く。
少年は膝を付いた男の前へと回り込むと、再び銃を構える。そこには慈悲の一欠けらも感じられない。あるのは殺意のみ。
当然だろう。少年は男を殺しに来たのだから。
男は肩で息をしながら、しかし、表情はどこか穏やかだった。
「止めを」
弾丸は放たれ、男を絶命させた。その口元は笑みを湛えている。
呪われた運命から開放されたことに安堵したのか、理想としていた死に様を迎えられたことに満足したのか。
それを知る術は、もはや無い。
男の死に顔をしばらく眺めた後、少年は銃をスーツの内側に隠れたホルスターへと戻した。それに合わせるように、小さくベルの音が響いた。
少年はスカルマスクを外すとスーツの内ポケットから携帯電話を取り出し、折り畳み式のそれを展開。面倒臭そうに通話ボタンを押し込む。


『ハーイ、ロビンフッド・ボーイ。仕事は完了したのかしら?』
「マーチ。その呼び方は止めろって言ったろ」
受話越しの明るい女性の声に緊張の糸が切れたのか、少年はふうと息を吐き出す。
『報酬はいつも通りに。それじゃ、次もよろしくね』
「……ああ」
会話を終えると、再び少年は男の亡骸に目をやり、そしてその場を去った。



裏の世界には「殺し屋」を“喰う”「殺し屋」が存在する。
『ハーイ、ロビンフッド・ボーイ。仕事が入ったわ』
闇の更に闇、深遠に居場所を持つ彼らを知る者は極めて少ない。
「最近仕事が回ってくるのが早いな」
『それだけ、表側はギスギスしてるってことねえ』
彼らを知る者は、こう呼ぶ――。
『それじゃ、今回もよろしくね。ブラックマン』
闇の仕事人「ブラックマン」と――。

 

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